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【センター韓国語】2019年度・第5問・問1〜問3

第5問

問1

 脱落文を本文中に補う問題である。脱落文を日本語訳すると、次のようになる。
「対話をやりとりしたという事実は、お互いの距離を、時によっては何年分も引き寄せてくれるものだからだ。」
 文末が「〜からだ」となっていることからわかるように、脱落文は、その前の箇所に書かれている内容について、理由・根拠を説明している。このことを手がかりにして、脱落文の前に何が書かれていたかを推測する。 そこで脱落文の冒頭を見ると、「対話をやりとりしたという事実」とある。したがって、脱落文の前には「対話をやりとり」することに関する内容が書かれていると推測することができる。なかでも、「対話を……したという事実」という外形的・表面的な事実こそが重視されているのであって、何を話すかという内容については、(この時点では)筆者は重視していないことに注意しておきたい。
 ここまで確認したところで、本文中の空欄ア〜エを順に見ていこう。
 空欄アの前は、水筒やおやつのはいった荷物を持った子どもたちを見て、子どもたちは「お出かけ(遠足)」をしているのだ、と筆者が推測している場面である。ここには「対話」は生じていない。
 空欄イの前は、「子どもたちの世界に入っていくため」には「初めての対話」が大切だ、という筆者の考えを述べた箇所である。「対話」に関する内容が含まれていることに注目しておく。
 空欄ウの前は、最初の一言で子どもに名前を尋ねたのでは、子どもとの対話が成り立たなくなる、という筆者の考えを述べた箇所である。ここにも「対話」に関する内容が含まれていることに注目しておこう。
 空欄エの前は、筆者の問いかけに対する子どもたちの返答が、子どもたちにとっては「誰かを助けた」という喜びをもたらすものだという筆者の考えを述べた箇所である。この箇所も、ひとまず「対話」に関する内容であると見てよい。
 以上の検討から、アは消去できる。それに加えて、ウの前・エの前では、対話の内容について述べているので、脱落文とはつながりが悪い。
 したがって、最も適切な箇所はイである。念のためにイの直後も確認しておくと、「だから」という接続詞があることから、脱落文の内容を根拠とする記述が展開されているとわかる。つまり筆者は、「対話をやりとりしたという事実」を重視するからこそ(←脱落文の内容)、子どもたちに話しかける最初の言葉として、〈答えを要求するもの、答えることが可能なもの〉を選ぶことにしたのだ、というのである。このように文脈として自然につながるので、正解はイ、すなわち②である。
■41■→②

問2

 空欄に当てはまる文を選ぶ問題である。この種の問題では、空欄の前後をさっと見て、空欄にはどのような内容が入りそうかをある程度予測した上で、選択肢を見ていくと効率的である。
 そこで空欄の前後を確認しておくと、空欄は直接引用の文であることがわかる。そして、筆者が子どもたちの方を向いて声をかけた最初の一言が、空欄の中に入るのである。
 また、空欄の前の段落では、筆者が子どもたちにかける言葉として〈答えを要求するもの、答えることが可能なもの〉を選んだことが述べられている(問1も参照)。さらに、空欄の後を続けて読むと、筆者がかけた言葉は問いかけ(質問)であり、「はい」または「いいえ」と答えれば十分で、しかも答えることで誰かを助けた(=人助けをした)と思えるような内容だということもわかる。
 まとめると、空欄に入るのは、筆者が子どもたちに投げかけた質問であり、それは「はい/いいえ」で回答可能なもの、しかもその答えが質問した人を助けるようなものだ、ということがわかるのである。
 ここまで内容を絞り込んだところで、選択肢を検討してみる。
 ①は、「君たちも西五陵に行くところかい?」という意味である。この質問は、確かに「はい/いいえ」で答えることは可能である。しかし、どちらの答えであっても、質問した筆者を助けたことになるわけではない。したがって、不適切である。
 ②は、「西五陵まで行こうと思ったら、時間がどれぐらい残っているかな(=あとどれぐらい時間がかかるかな)?」という意味である。「どれぐらい」という時間の長さを尋ねる質問なので、「はい/いいえ」で答えることができず、不適切である。
 ③は、「重いようだけど、私が荷物をちょっと持ってあげようか?」という意味である。この質問は「はい/いいえ」で答えることは可能である。しかし、子どもが筆者を助けるのではなく、筆者が子どもを助けようと申し出ているので、不適切である。
 ④は、「この道は西五陵に行く道で間違いないよね?」という意味である。この質問は、「はい/いいえ」で答えることができる。また、どちらの答え方でも、〈西五陵に行きたい人を助けた〉ということになる。したがって、これが文脈に合致する質問である。正解は④。
■42■→④

問3

 空欄に入る表現の組み合わせを問う問題である。空欄A〜Cはいずれも直接引用の箇所であり、会話文がそのまま入ると考えられる。
 空欄の直前を見ると「反応は予想よりもずっとよかった」とあるが、この「反応」とは、筆者が投げかけた最初の一言に対する子どもたちの「反応」である。
 また、空欄A〜Cを含む箇所を日本語訳すると、次のようになる。
 「『(A)』ではなく『(B)』だった。そればかりか、『(C)』」
 「そればかりか」という表現があることから、Cは筆者の想定を上回るほどの「反応」であったことがわかる。さらに言えば、Cは筆者にとって最もうれしい「反応」なのであり、Bはそれに及ばない「反応」、Aはさらに劣る「反応」というように、優劣の順序がつけられているとわかるのである。
 ここまで検討したところで、空欄に入るa〜cの文を見てみよう。それぞれの日本語訳は、下記の通りである。
a はい、合っています(=そうです)!
b 私たちも西五陵に行くところです!
c はい。こちらにずっと行くと西五陵です。

 筆者は子どもたちに「この道は西五陵に行く道で間違いないよね?」と尋ねたのであった。したがって、この質問に「はい/いいえ」で答えるにとどまるのが、必要最低限の「反応」であるといえよう。a〜cのうち、必要最低限に近いものはaである。
 それに比べるとcは、「こちらにずっと行く」というように、大まかな方向や距離感を情報として付け加えており、aよりも少し丁寧な「反応」といえる。
 さらにbは、筆者の質問に答えるだけでなく、自分たちも同じ場所に行くのだという情報を付け加えている。これは、筆者とのさらなる対話を可能にするものであり、筆者にとっては最もうれしい「反応」といえよう。
 以上から、空欄Aには最低限の対応であるaが、空欄Bにはより丁寧な対応であるcが、空欄Cには筆者にとって最もうれしい対応であるbが入ると判断できる。正解は②。
■43■→②

【訳文再録】

 今から50年前、大学の時のことだ。そのとき私は大学の近く(の地域)の小学校を対象とするボランティアサークルの活動をしていたのだが、そのサークルで西五陵に花見に行ったことがある。今でこそ交通(の便)が非常によくなったが、当時はバスの終点で降りて1時間程度歩かなければならなかった。私たちは三々五々話をしながら道を歩いていたのだが、私たち一行の先になったり後になったりしながら、同じ方向に歩いていく子どもたちがいた。水筒やおやつが入っている荷物を持っていた。明らかにお出かけ(=遠足)に行くところだった。〈ア〉
 みすぼらしい身なりだが、色白の子どもたちの表情が、ボランティア活動で出会った子どもたちの姿と重なり、なぜか私は、この子どもたちの群れに交じって今日一日を過ごしたいという考えが浮かんだ。子どもたちの世界に入っていくために大切なことは「初めての対話(=つかみの会話)」を無事に終えることだ。〈イ〉そこで私がちびっ子たちに投げかけた最初のことばは、必ず答えの必要な、そして答えることが可能なものでなければならない。万が一、「ねえ、きみの名前は何?」という一言を投げかけたなら、彼らとしてはまず(私に対して)答えてやる必要を感じない。それのみならず、むしろ(子どもたちを)あわてふためかせ、決して対話が成り立たなくなる。〈ウ〉
 私ははっと思いついたように、ちびっ子たちの方に振り向きながら「■42■」と最初の一言をかけた。この問いかけは、彼らにとってはまったく負担(感)がない(=負担にならない)質問だ。「はい」または「いいえ」で十分なのであり、また彼らをして誰かを助けたという喜びを与えることのできる質問だった。〈エ〉反応は予想よりずっとよかった。
 「(A)」ではなく「(B)」だった。そればかりか、「(C)」。
 しかし、その次の場面で意外にも話に詰まってしまう危うさは、依然として残っていた。だから
「バスの終点から半分くらいは来たことになるかな?」
「いいえ、半分もまだ来ていません」
「きみたちは、西五陵の近くに住んでいるみたいだね」
「いいえ、文化洞に住んでいます」
「じゃあ、今は文化洞からここまで来たところかい?」
「はい」
「家に帰る道を失ったら(=道がわからなくなったら)、どうしろって(いうのかな)(=どうしていいかわからなくて困るだろうに)」
「いえいえ、問題ありません(=大丈夫です)」
 こうしてひとまず対話の入り口を開いておいた。今や、このちびっ子たちの世界の中により深く足を踏み入れなければならない。芸能人やスポーツ選手、アインシュタインのような偉人たちについてあれこれ質問をしながら、また彼らの話を誠意を持って聞いてやりながら、私たちは相当に親しくなることができた。
 そうする間に、いつの間にか西五陵に着いた。ひとまず私はサークル一行の中に戻ってきたが、昼食を食べ終えた後、自由時間には再びちびっ子たちに会って、相撲もとり、歌も歌い、写真も撮って、ひととき遊んで別れた。
 (その後)サークルの友達と話に花を咲かせていたところ、ちびっ子たちが訪ねてきた。はや家に帰る身なりだ。彼らは写真が(現像されて)できあがったら一枚送ってほしいと言って、住所を書いてくれたあと、ひとくくりのチンダルレ(ツツジ)の花を差し出した。そして小学生らしく一斉に頭を下げてあいさつをして帰っていった。
 今も私の記憶の中で最も明るいチンダルレの花の色は、このときに受け取ったチンダルレの花の色だと思っている。いつかソウルに帰ったら、私は西五陵に春の寂しい散策に行きたい。きれいなチンダルレひと房を胸につけて、ゆっくり歩いて行き、ゆっくり歩いて戻りたい。

2019年度の問題・解説へのリンク

問題PDF 朝日新聞 センター公式
解答PDF 朝日新聞 センター公式
第1問 全設問
第2問 A・B C D・E
第3問 A B C
第4問 全設問
第5問 本文全訳 여기! 問4・問5
第6問 本文全訳 問1〜問3 問4・問5